◆番外編◆ 〜THE HISTRY OF QUARTER〜 |
大型自動二輪免許を教習所で取得できるようになった現代、昔と比べて250ccのバイクに乗っている人の割合が非常に少なくなっています。 各メーカーもリッターバイクのラインアップに力を入れ、中排気量以下はいわゆる「ビッグスクーター」のみと言って良い状態になりつつあります。 高速道路を利用出来て、しかも車検の煩わしさがない。燃費もそこそこ良いクオーターには現在でも利があるとは思うのですが・・・ では、クオーターの歴史を紐解いてみましょう! って単なるオッサンの昔話なんですけどね(笑 |
第一章 ◆4stクオーター・マルチの創世記◆ |
最高出力規制や排気規制などの要因から、今後ラインアップされる事は期待できないのが4ストロークの多気筒(3気筒・4気筒)エンジンを搭載した250ccバイク。 その高性能さから一時代を築いたといっても過言ではないでしょう。 まずは4stクォーター・4気筒の創世記を紐解いてみましょう。アオちゃん(BALIUS2)の直接・間接ご先祖様っすからね(笑 レースの世界ではHONDA・RCに代表される4気筒(最終的には6気筒のRC166まであったけど)ってのは珍しくなかったとは思うのですが、市販車に関しては効率の悪さ、取り扱いの難しさからかラインナップされたのは割と遅かったんではないかと、海外ではベネリ クワトロ254ってのが70年代からありましたけどね その創世記に現れたのが |
YAMAHA
FZ250PHAZER(85年発売) 当時の2st至上主義みたいな流れの中で超高回転エンジンで登場、45psの先駆け。結構話題になりましたよね〜 発表された時「250ccには4気筒要らないっしょ!」って思ってたのを思い出しました(爆 今見ても結構イケてるデザインだと思いません? 女性ライダーに人気ありましたよね、今でも乗り続けてる方が結構いらっしゃるみたい。 |
そのPHAZERより早くに発売されていたのが↓ |
SUZUKI
GS250FW(83年発売) これは友達が乗ってたんで、少し乗らせてもらった事がありますね〜 国産250cc・4気筒の創始者だとは思うのですが、いかんせん重いしパワーが・・・2バルブの「GS」だし・・ GSX250E(4st2気筒・4バルブ)の方が2気筒でも人気あったな〜 後継車のGF250は結構人気あったんですけどね |
でもってPHAZERやGF250に対向する形で発売されたのが |
HONDA
CBR250FOUR(86年発売) V型2気筒のVTでヒットを飛ばしていたHONDAさんが満を持して市場投入。(でもそんなに売れなかった様な気が・・・ 現在のMotoGPマシンでも採用されてるギアトレーン式のDOHCを採用してましたよね。当時は「何それ?」って思ってた気もするな〜(;^_^A 考えたら、HORNETまでこの流れは続いてるんですな、市販車におけるHONDAさんの技術力には驚かされます。 |
最後に控えしは我がKAWASAKI!(笑 |
KAWASAKI
ZXR250(89年発売) アオちゃん(BALIUS2)の直系のお父さんですが、前述の3車種とはだいぶ後になってからの発売です。 男カワサキ!250は2気筒が最強!ってスタンスだったみたい(笑 たしかにGPZ250やZZ-R250は今でも人気ありますよね〜 対抗馬としては「HONDA CBR250RR」や「YAMAHA FZR250R」とかになるのかな? TT-F1のZXR-7とかTT-F3のZXR-4とかが活躍していた頃ですから、第二次KAWASAKIフリークを増やしていた時代なのでは(笑 |
この後に各社共にレーサーレプリカモデルのエンジンを積んだネイキッドをラインアップしてきて、HONDA HORNETやYAMAHA
Zeal、SUZUKI
Banditなんかと共に、アオちゃんのお兄さん「BALIUS」が誕生する訳ですな その後の世の中の移り変わりで、若者のバイク離れ、出力規制、排気規制なんかで全部生産中止になってしまいましたが、たぶん、今後絶対にラインアップされないと思われる250cc4st4気筒4バルブって、有る意味貴重な存在だと思います。 でも、維持するのドンドン大変になって行きそうな気がする・・・ まあ、ぶっちゃけ250cc2stレーサーレプリカには全然敵わなかったんですけどね(爆 |
第二章 ◆Kawasaki QUARTER の名車達◆ |
2013年満を持して発表された「Kawasaki
Z250」のご先祖さまも、アオちゃんこと「BALIUS2」のご先祖様も古のZ250シリーズと言うことになるのでしょうか? さて、我がKAWASAKIはと申しますと、やはり「Z」の流れを組んだ名車が揃っております。 |
名車の誉れ高き「Z250FT」(79年発売) Z1Rから始まる角Z系のデザイン、ツインOHCながら27ps/10000r.p.mって当時としてはカナリのハイスペック。 もちろんRZシリーズに太刀打ちできる物ではないですが、結構コアなファンが多いマシンですよね〜 後継車種はGPz250→GPX250と進化してZZR系へと推移してゆく訳ですね〜 その途中で4気筒へと枝分かれしてZXR250→BALIUSシリーズってなって行くのですな |
Z200のスケールアップ版として発売された「Z250FS」(80年発売) こちらはZ1からの丸Zデザインっす。 FTよりも後に発売されたんですけど、KL250からの単気筒OHCエンジンは19ps/8000r.p.mとやや大人し目。 前後ドラムブレーキだし、スポーツ指向と言うよりは街乗り向きな感じ。 ピストンにはZ1000の物が流用されていたらしいんで、まさにクォーター(笑 「オートバイの科学(島英彦著)」を読んで単気筒に心酔していた僕は、これが欲しかった(笑 後継車種にはスポーツ色の強いCS250。これは今でもコアなファンが居ますよね。 |
ESTRELLAや250TRの直系のおじいちゃんって所っすかね(? |
ジャパニーズ・アメリカンの代名詞となった「Z-LTD」 クォーターはFTのエンジンを使用した「Z250LTD(TWIN)」(80年発売・左)と、FSの単気筒エンジンを使用した「Z250LTD(SINGLE)」(81年発売・右) ハーレーくらいしか使ってなかったベルトドライブを採用。 現在でも脈々と続いている「アメリカン」の血統はこの辺りから始まっているのでしょうね 当時はまだ名車(迷車?)KR250は発売されておらず、KAWASAKIの2stはKHシリーズのみ。 それでも、KAWASAKI車はコアなファンが多かったな〜 僕の中でのクォーター「Z」はこの辺りの車種からBALIUSシリーズまで飛んでるんですよね〜 アオちゃんの型式は「ZR250B7F」ですから一応「Z」シリーズなんでしょうけど〜 新しい「Z250」の型式は「JBK-ER250C」・・・って「Z」って入ってないのね・・・ なんか釈然としないな〜 |
第三章 ◆2st250cc・レーサーレプリカの歴史◆ |
さてさて、クオーターの歴史を考える上で避けることが出来ないのが「2stレーサーレプリカ」。 僕はその時代にはバイクを降りてしまっていたのですが、天井知らずの性能アップ戦争が加速し、公道でこんなの大丈夫なの?って思ってましたね〜(笑 日本人ライダーもコンチネンタル・サーカス(WGP)で大活躍して、各社共にレプリカの販売シェア獲得に躍起になってましたな〜 |
その流れの大本を作ったのはやっぱり↓ |
YAMAHA
RZ250(80年発売)なんでしょうな〜 それまでもRDシリーズの様な2stスポーツはありましたが、当時珍しかった水冷エンジンでTZのエンジンをデチューンした様なスペック。 2stスポーツのきっかけを作ったのは間違いないでしょう。 YAMAHAさんはその後、RZ250R→RRと進化させて行くのですが、やっぱりレプリカと言うと「TZR250シリーズ」でしょう。大きく分けると3種類なのかな? |
TZR250
1KT/2XT(85年発売) RZシリーズと比べて明らかにレーサールックになっただけではなく、大幅にパワーアップ。 エンジン特性だけではなくハンドリングも他社とくらべて良い所はさすがYAMAHAさんと言ったところでしょう。 |
TZR250
3MA(89年発売) 通称「後方排気TZR」って、出た頃は後方排気って意味あるの?ってちょこっと馬鹿にしてました(笑 チャンバー容量を小さく設定できるとか、多少のメリットは有ったんでしょうけど、やっちゃった感はなきにしもあらず・・・ |
TZR250
3XV(91年発売) 初代RZから続く並列2気筒を捨ててV型2気筒になったモデルですね〜 たしかレーサーTZと並行開発されたエンジンで部品の互換性まであったって噂を効きました。ってそれ有りなの? ここまで来てやりすぎたと思ったのか後期型以降は最高出力規制(自主)で40Ppsに落ち着きましたね、それでも4st400ccと競える戦闘力はあったんじゃないかな〜 |
2stのYAMAHAに負けじとHONDAさんも頑張ったのですが〜 |
MVX250F(83年発売)って大失敗策からのスタートになっちゃいましたね〜 WGPに出場していたNS500を模したV型3気筒って面白いエンジンを搭載してたんですけどね・・(販売台数はそこそこいったみたいですけどね やっぱりHONDAのレーサーレプリカと言えば「NSR250R」シリーズですね〜 |
NSR250R
MC16(86年発売) 前作のNS250Rから、よりレーシーなスタイルになり、引き継いだ45psV型2気筒エンジンを搭載して登場。 TZR250に性能的にもスタイル的にも追いついたカタチになっています。 でもYAMAHAさんはそうはさせじと・・・ |
NSR史上最高傑作といわれているNSR250R
MC18(87年発売) リミッターも搭載していないし、RS250と同時開発されたって噂もありましたな〜 乾式クラッチ搭載もでるとかあったり、HRC仕様のプロダクションレース向けモデルがあったりとか、流石HONDAさんだな〜って感じっすね。 今でも町中で見かける事があり、乾式クラッチ独特のエンジン音を耳にしますね |
NSR250R
MC21(90年発売)は外観上が大きく変わりました。 スイングアームにガルアームを採用して、大容量化するチャンバーを避ける様な配置になっていますね。 エンジンも結構新設計が加わってるみたい。 ちなみにアオちゃん(BALIUS2)のFブレーキキャリパーはこの方から流用させてもらってます。 |
最後のNSRなってしまったのがNSR250R
MC28(93年発売)。 スイングアームが方持プロアームになったのが一番目をひきますね〜 更にレーシーなスタイルになったけど、ご多分に漏れず自主規制で40psに押さえられてしまいました。 たしかメモリーカードを差し替えるだけで性能が上がるようになっていた様な・・・ |
H・Y戦争を横から煽っていたのがSUZUKIさんなのでは(笑 |
まずはRGシリーズを大幅にレベルアップさせたRG250γ(83年発売)ですね〜 H社が出遅れたおかげで、RZシリーズに対向できるのはこれだけでした。 F・ウンチーニ師匠がレーサーと間違えたってんだからその性能は・・・ 2st250ccの性能アップ競争に拍車をかけたのはガンマでしょうね。 |
H・Y社からは少し遅れて登場したのがRGV250γ
VJ21A(88年発売)。 採用されたのはV型2気筒エンジン。 このペプシカラーはサイレンサーが黒色でK・シュワンツのRGV-γそのものですね〜 後続メーカーならではの「やりたい放題」ってイメージが強いマシンですね(笑 |
倒立式フロントサスが目を引くRGV250γVJ22A(90年発売)。 右2本出しになった排気系が更にRGγに近付いてる感じですね〜 アプリリアのRS250はこの方のエンジンを使ってますね、 国外仕様エンジンって60ps以上あったって・・・ホントかな? |
他メーカーが2stレプリカから撤退した後にでたのが車名が変わったRGV-γ250VJ23A(86年発売)。 この時期では珍しくエンジンも新設計。電子制御化されるるあったGPレーサー同様に制御系が一新されてますね。 確かセルスタート・オンリーだった様な・・ |
カワサキ党としてはイマイチ語りたくないのですが・・・(笑 Kawasaki 2stと言えばマッハシリーズ→KHって名車揃いなんですけどね〜 |
WGPでのA・マンク師匠の250/350ccダブルタイトルを受けて登場したのがKR250(84年発売)。 GPレーサーから受け継いだタンデム・ツイン、ロータリーバルブエンジンを搭載。 (バルブレイアウトは左右逆ですけどね) 独特のデザインで今でもコアなファンがいらっしゃるマシンですね。 でも、発売後にKawasakiがWGPから撤退・・・ |
オーソドックスな並列2気筒に変更されて登場したのがKR-1(88年発売)。 WGPで覇を競っている他メーカーと比べて、販売台数が伸びなかったのはしょうがないですよね〜(無 幻のGPレーサーX-09が実現してたら少しは違ってきたのかもしれませんね・・・ 前傾V型2気筒のKR250を見てみたかった・・・ |
産業界も「ライバル」の存在というのは大きいのですな〜 もう2st小排気量は見られないと思うと寂しい限りです・・・ |
第四章 ◆国産クオーター・マルチ レーサーRC160の軌跡◆ |
クオーター・マルチの歴史を語る上で忘れてはいけないのは、やはりHONDA
RC160シリーズですね もちろん僕の生まれる前のお話(笑)、だから内容は各種資料を見て書いてます。 HONDA RCレーサーと言えば125ccのRC140シリーズの方が歴史も古いですが、あえての250ccです。(笑 スタートのRC160から既に4気筒、最終的にはRC165/166の6気筒まで。まさに国産4stクオーター・マルチの先駆け的存在ですね。 まだMV代表される欧州メーカーが強かった時代。HONDAさんが勝つためのマシン作りに力を入れてくれた事が国内メーカーの隆盛を呼んだと思いますね。 この時代の工業製品技術革新は凄いですね〜 |
RC160(1959年)
最高出力35ps/14000rpm 当時バイクの性能(メーカーの力量)を計る登竜門的な存在だったマン島TT、初挑戦するために開発されたマシン。 125cc2気筒のRC141のエンジンを並列に並べた様な構造で、カム駆動にベベルギアを採用したDOHC4バルブ。実際はマン島TTには参加しなかったが、浅間火山レースでは上位を独占。(写真はその浅間型かな?) |
RC161(1960年)
最高出力38ps/14000rpm 世界GP参戦用に開発されたマシン。RC160から大幅に発展したエンジンは前傾35度シリンダーを採用したスパーギア駆動のカムギアトレインDOHC。RCレーサーの原型とも言う様なデザインになっていますね。 常勝MVには敵わなかったモノの田中健二郎さんが日本人初の3位表彰台に立っています。 |
RC162(1961年)
最高出力45ps(以上)/14000rpm RC161から全面的に設計を見直し、フレームはオーソドックスなダイヤモンドからバックボーンへ移行。 西ドイツ・ホッケンハイムGPでは高橋国光さん(4輪のレースで馴染みがある方も多いでしょう)が日本人として初優勝を上げます。HONDAはこのマシンで快進撃を続け、マイク・ヘイルウッド(ドカのM・Hレプリカの人)がタイトルを獲得。上位5位までHONDAが独占しました。 イラストは国光さんのゼッケン100ですね |
RC163(1962年)
最高出力46ps(以上)/14,000rpm RC162からの発展型、62年には250ccクラス出場9戦全勝(アルゼンチンGP不参加)という快挙を達成したマシン。このクラスのHONDAの常勝期を支え、安定した結果を残したみたいですね。 |
RC164/2RC164(1963年〜1964年)
最高出力46ps(以上)/14,000rpm 63年はJ・レッドマンさんらの活躍でこの年も250ccタイトルを奪取するも、最終戦までタイトル争いを続けたのがT.プロピーニさんのモト・モリーニ単気筒であった事は皮肉な感じですね。(この年の日本GPでSUZUKIのE・デグナーが転倒したのが鈴鹿・デグナーカーブの名前の由来。) |
64年はこの辺りから猛追して来たYAMAHA
2stマシンRD56に対向すべくシーズン中にパワーアップ版2RC164を投入するも、タイトルは失ってしまいます。 11戦目には先行開発の世界初250cc・6気筒エンジンを搭載した3RC164も走らせ、最終日本GPではRC165で6気筒初勝利を挙げます。 ちなみに3RC164はライバルに6気筒と悟られないように、ギリギリまで排気管2本を外し、2RC164の改良型の型番を付けていたそうです(シビアな世界ですね) |
RC165(1964年〜1965年)
最高出力54ps/17,500rpm 前年最終戦で勝利を挙げるも、65年シーズンはYAMAHAの独壇場。RD56の熟成と新型RD05の投入。HONDAの4st多気筒・高出力化が2stの進化を呼んだカタチとなるのでしょうか? |
RC166(1966年〜1967年)
最高出力60ps/18500rpm タミヤさんからプラモデルも発売されていますので、このモデルは結構知られているのではと思います。 基本設計こそ165からの発展型となっているが、各部が見直され、チタンやマグネシウムなどを多用した計量化が計られています。 66年シーズンはMVからHONDAに戻ったM・ヘイルウッドさんのライディングで出場10戦全勝という好成績を残し、タイトルを奪還する。HONDA第一期WGP最終年となる67年シーズンは熟成が進んだRD05との死闘を制し、M・ヘイルウッド氏がタイトルを取り、有終の美を飾ったカタチになりました。 (僕は166と同い年(爆 |
HONDAさんが世界GPの世界に参戦を目指し始めたのが1957年の事だそうです。まだ日本製オートバイなんて世界では全く知られてなかった時代ですね。 その数年後には表彰台にまで上れるマシンを作り上げてしまった、当時のHONDA技術陣の情熱と技術力には驚かされます。 ライバルメーカーに勝つためにHONDAさんは多気筒・高出力マシンの開発に力を入れて行ったわけですが、後の市販バイクの方向性を決めるキーとなったのではないでしょうか。 1979年にWGP復帰したHONDAさん。 YAMAHA YZR500、SUZUKI RGΓ500など2st勢しか存在しなかったWGP500ccクラス、HONDAさんが持ち込んだマシンは「4stのNR500」(4st4気筒・楕円ピストン32バルブ)。 当時の500ccの気筒数制限は4気筒まで。バルブ数を増やすために採用した「楕円(長円)ピストン」はHONDAさんの4stへの意地の様なモノを感じますね・・・ |
余談ですがHONDAをGP撤退に追い込んだと言うべき(?)マシン「YAMAHA RD05」実はこのマシンも嫌いじゃない! |
65年にデビュー、2st2軸V型4気筒・ロータリーバルブ。 当初こそ振るわなかったものの、67年シーズンには軽量化されたRD05Aを投入。68年にはタイトルを奪取しています。 最高出力70ps以上を発揮していたそうです。流石は出力を出しやすい2stですね。 (相当ピーキーだったとは思いますが) |
たぶん、僕と同じ世代の人はこのエンジンみて「80〜90年代のGP500とまるっきり一緒じゃん!」って思うでしょうね(笑 あまり成績は残してませんがSUZUKI RZ63なんてスクエア4エンジンもあったんですよ。 (実際には走らなかったけどSUZUKIさんには50cc2st・V型3気筒なんてのも有ったらしい 当時のGPレーサーは7段変速、8段変速なんかあったみたい。50ccに至っては14段変速なんてのも有ったらしいっす。乗りにくかったでしょうな。 |
2001年までのWGPでは2st・4stの排気量は同一上限、でしたが、2002年に500ccクラスがMotoGPクラスに変更になった際は2st500cc、4st990ccと約倍の差を設けていました。それだけ排気量差を設けて同等という事なんでしょうね。4stにこだわったHONDAさん、それだけの差がある中での4st性能向上って相当大変だったんでしょうね。 |
第五章 ◆250cc・4stエンジンの可能性◆ |
気筒数制限などのレギュレーション変更に伴い1967年でWGPから撤退してしまったHONDA。 時は移り、1979年、WGP500ccクラスではYAMAHA YZR、SUZUKI RGΓといった2stレーサーたちの独壇場となっていました。 レギュレーション上は4stエンジンも同様に上限500ccで出走可能ではありましたが、より手軽に高出力を得ることができる2stに分があったのです。 |
同年、WGPに復帰したHONDAが最初にサーキットに持ち込んだのが「ニュー(N)・レーシング(R)」と名付けられた「NR500(0X)」。 なんと4stV型4気筒エンジンをアルミモノコックフレームに抱え込んだ異質なレーサーでした。(サイドカウルに見える部分はモノコックシャーシーの一部です) サイドラジエーターや直立したスクリーン等、F1で培った技術を投入していると言われていました。 |
当時のレギュレーションでは500ccは4気筒まで。HONDAお家芸の多気筒化による出力アップは図れません。 4気筒ではショートストローク化等により高回転化して高出力を得るのも限界があります。(単純に言うと、一回転ごとに爆発する2stに対し、二回転に一回爆発する4stは倍の回転数で回す必要がある) そこでHONDA技術陣が作り出したモノが通称「UFOピストン」。 |
2本のピストンを並列でつないだ様な楕円(長円)型のピストン。コンロッドは2本。 このピストンをV型4気筒で搭載する事で、実質8気筒の32バルブとし、超ショートストローク・超高回転型4stエンジンを生み出したわけです。(現在のMotoGPでは禁止されています) 2stに席巻されWGPから撤退していったHONDAの「意地」を見た様な気がしました。 もちろん市販車へのフィードバックを考えると、4st車でのレースは「レースは走る実験室!」という本田宗一郎氏のスタンスにも合致していたのでしょう。 |
NR500(2X)1981年 モノコックシャーシー等、特異な作りも手伝ってか、元々部品点数が多い4st。 予想外のトラブルが頻発した様です。 その後、オーソドックスなフレームに変更されたりしましたが、中々思った通りの結果は残せませんでした。 |
NR500(モーターショー)1983年 83年にはカーボン繊維強化プラスチック(CFRP)を多用したモデルがモーターショーで展示されましたが、実戦には投入されませんでした。 |
HONDAの主力は82年より同時開発が進められていた2stレーサー「NS500」へとその座を明け渡して行く事になります。 NR500の撤退後、WGP最上クラスでの4stエンジンの出走は、2002年のMotoGPまで無くなってしまいます。 |
クオーターの歴史なのに、なぜ長々とNR500の事を書いていたかと言いますと・・・ 当時噂を聞いただけで、雑誌等でも写真などが公開された事などは無いと思うのですが、NR500の開発と同時期に、楕円(長円)ピストンを搭載したV型2気筒250ccのレーサーも開発されていたそうです。 それは250ccクラスに参戦する為のモノではありませんでした。 なんと、過給機としてターボチャージャーを搭載(各気筒に1個ずつ)した500ccクラス用のマシンです。当時のWGPレギュレーションでは過給機の搭載が認められており、500ccクラスでは過給機付250ccが出走可能だったのです。 (出走可能と言うよりは古くからあるレギュレーションがそのまま残っていたと言う感じですが・・・) 実際に表舞台に立つこともなく「NR250Turbo」の開発は打ち切られ、幻のレーサーとなってしまうのですが、実現していたらとんでもない事になっていたかもしれませんね。 車両重量は500ccと比べて明らかに軽くなるでしょう。最高出力は500ccを上回っていたかもしれません。(ベンチテンスとで150ps以上出たという噂も・・) 剛性、ハンドリング等の問題をクリア出来れば一時代を築いていたかもしれません。 (インタークーラー等の補機が多く重かったと言う話もありましたが・・・) |
その後、HONDAは市販車VT250にTurboを搭載したモデルを企画しましたが、当時は認可が下りず、こちらも幻のマシンとなってしまいました。(50ps以上出たらしいが250cc自社規制は45ps) 小排気量・高回転のバイクエンジンでどれだけ効果があるかは分かりませんが、HONDA CX500Turbo、YAMAHA XJ650Turbo、SUZUKI XN85、Kawasaki 750Turbo等、過給機付きの大型バイクは実現しただけに、少々残念ですね。 |
現在、市販のクオーターバイクは出力の上限規制、排気規制などで縛られ、今ひとつ面白みの無いものになりつつあります。 |